今日はちょっと、思いがけない訃報を受けて久々に筆を執りました。(ほぼ自己満足みたいな長文です)
さくらももこさん。
いつ頃から闘病されていたのかとか、まだよく知らないのですが…とにかく驚きました。
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なんというか、皴々・白髪頭になっても、例のように背中を丸めてキヒヒと笑っているような「いじわるばあさん」的未来像を信じて疑わなかったので。まさかこんなに早いとは。
最近本を出さなくなっているなあと何度か思ったりしたことはありつつも、きっとゲームと趣味三昧の生活を送っているんだろうと想像して。19歳からデビューしてあんなに沢山仕事してれば、余暇生活に入っているとしても当然だよね〜なんて事まで思っていた。あと、健康オタクでいらっしゃったし。
私はたぶん、小学校4・5年くらいからエッセイを読み始めた。アニメはもう少し幼い時から見ているし、慣用句とか百人一首を扱うような児童向け読み物も買って読んでいた。
個人的には、シャープな輪郭線のアニメよりも、ペンの味がそのまま出ているエッセイの挿絵が好きだった。なによりエッセイは文章が楽しかった。
イラストレーターかエッセイストになりたいという夢を同時期に持ったのも、さくらももこさんの影響なのだ。3頭身の自分の姿の漫画を、掃いて捨てるくらい広告の裏やそこかしこに描きまくっていた。
小学生時代は今では少し遠く感じる位置にあるけれども、確実に今の私の根っこだ。
その頃目にしたこと、感じたこと、覚えたことって、案外ずっと忘れないものである。
いつしかちびまる子ちゃんのアニメを観なくなっても、好きなことに変わりはなかった。
個人的に1、2を争うくらいお気に入りの書籍『憧れのまほうつかい』の中で、ももこさんが大好きだった作家、ル・カインの訃報に際した時のことが書いてあるが、私もおんなじような気持ちでいる。
そしてまた、アニメーターの今敏さんが亡くなった時のことも連想される。
今さんは、たまたまつけたテレビで色んなお話をされていて、それがすごく共感出来て、この人いいなぁ…と思って観ていたら、番組の最後にそれが今さんの病没を受けての再放送であることが明かされた。びっくりして色々検索したら、亡くなるまでに様々ブログに言葉を遺されていて、それがなんとも心に沁みた。
さらに後日、新聞の夕刊にお悔やみの記事が出ていて、文の最後が「心優しき魔術師は、扉の向こうに消えた。」と締めくくられていて…。
私にとって、ももこさんは憧れのまほうつかい、魔術師であったのかもしれない。一方で、ももこさんの引く線は、苦労の跡や練習量が透けて見えるような、生々しいものであったようにも思う。紡がれる言葉も、私の日常と同じように、親しみがあって現実感に満ちていた。
まだぴったりな名前は思い浮かばないでいる。
お別れはさびしい。私の手元にはただただ、幾度もページをめくった本があるばかりだ。
なんかほんとに、ファンだったんだなぁ…と、思う。
ありがとうございました。
(持っている本たち。多分まだもうちょっとある)